家いくら?|住まい・暮らしのコラム
みなさんは「赤羽」という街をどれほどご存じでしょうか?比較的大きな街ですが地元以外の方で、電車を下りて実際に街の中を歩いたことがある人は少ないと思います。もしかしたら東京の人よりも、さいたま市や川口市など埼玉県に住む人の方が詳しいかもしれません。
2015年に俳優の山田孝之さんが実際に「赤羽」に暮らす様子をそのままオンエアする『山田孝之の東京都北区赤羽』という番組が放送され、ドラマともドキュメンタリーともつかないテイストが話題になりました。都心の商業エリアや山の手の住宅地とも違う「赤羽」の独特の雰囲気が感じられました。山田さんのように「赤羽に住んでみたい」と思った人も多いのかもしれません。
「せんべろ」とは、「1,000円程でべろべろに酔える」という意味。ちょっと変わった言葉遣いですが、下町を中心に普通の街の普通の酒場を飲み歩く楽しみ方を表現しています。都内には安い酒場が集まる街はいくつかありますが、赤羽駅東口はその代表的なエリアのひとつです。
はじめての人でも入りやすいお店をご紹介しましょう。『いこい』は立ち呑みの王道。本店と支店の二店あります。元々酒屋さんでお酒も安く提供される上に、もつ煮込みや焼き鳥などの定番メニューを中心に料理の種類も豊富です。ちなみにキャッシュオンデリバリーなのでご注意を。『丸健水産』はおでん屋さん。レトロなアーケード街の中にあります。店先のおでん鍋に、たくさんのネタが並びます。練り物は自家製で、お店の奥でつくっています。『まるます家』はテレビでの露出も多い店です。人気がありすぎて行列も出来ます。そのため一見客も多いのですが、ここではそれがむしろ良い方に働いています。お店も丁寧な接客なので、初めてのお客さんでもアウェイ感なしで楽しめます。
他にもビギナーにも入りやすいお店からディープなお店まで、赤羽は立ち呑み、焼き鳥、BAR、イタ飯、寿司と何でもあり状態です。「せんべろ」というとお客さんはオジサンばかりなの?という気もしますが、赤羽は若い人も多いようです。夜ならお店によっては周囲を見渡すと20代の若者が過半で、「ここは渋谷区か?」と思うこともあります。いつのまにか若い人が集まる街になっていたのですね。
赤羽が変わることが出来たのは交通アクセスが良かったからかも知れません。赤羽駅はJRしかないのですが、京浜東北線、上野東京ライン、埼京線、新宿湘南ラインと4線も集まり、上野・東京方面、池袋・新宿・渋谷方面、どちらへも優等列車が使えるので便利です。特に2015年からは上野東京ラインの運行がはじまり、東京・新橋・品川までの時間が短縮されました。つまり都心通勤層にとっても大注目の街なのです。また、赤羽駅から北に600m離れた北本通りには東京メトロ南北線の赤羽岩淵駅があり、飯田橋・四谷・赤坂・六本木へも乗り換えなしで行くことが出来ます。
駅からスタートしてまず西口方面を歩いてみましょう。
戦災を免れた西口駅前は狭い道路に囲まれた商店や住宅が密集する街区が1980年代まで残されていました。それが再開発によって雰囲気は一変します。大きな駅前広場とイトーヨーカドーを中核とする大型のショッピングセンターがつくられました。戦災復興で開発された東口との時間差が、西口と東口の雰囲気のギャップを生み出しています。
この西口広場から階段を上ると赤羽台です。ここには1960年代に住宅公団(現:UR都市機構)が赤羽台団地を建設しました。3,000戸を超える大規模団地は23区初でした。古い団地というと、高齢化、過疎化が進んでいるというイメージがあると思いますが、この赤羽台団地は若い家族が着実に増加しています。URによって建て替えが進められており、新しい建物には新規に入居するファミリーも多いのです。東京駅まで電車で17分ですから、通勤の条件が良いでしょう。
この赤羽台団地のなかには区立赤羽台中学校があったのですが、生徒数の減少により2006年に廃校になります。しかし、その校舎は東洋大学赤羽台キャンパスとして生まれ変わりました。2017年からは情報連携学部が、2021年には朝霞からライフデザイン学部も移転してくる計画です。学生の数が増え、キャンパスが賑やかになる今後が楽しみです。
UR団地の再生事業は各地の古い団地から進んでいます。メディアに大々的に特集される都心エリアの複合再開発とは違い再開発としては地味ですが、地域社会、地域経済に対する影響は想像以上に大きいと思われます。若い世代の住民や学生が増えることで、地元の商店が潤います。そこにチャンスを見出して若い世代が新規出店することで街の魅力がアップします。団地以外でも新しい住民が増えてくるでしょう。実際、赤羽で若返りが起きているのは、駅前の再開発や団地の再生事業が契機となり、経済の好循環を生み出していると考えられます。
団地の南西には赤羽自然観察公園があります。公園内には多目的広場やバーベキューサイトも設置され、隣接の運動公園と合わせて区民の憩いの場所として利用されています。さらにその近くには国立スポーツ科学センターもあります。トップクラスのスポーツ選手の育成を進める施設として2001年に開設されました。東京オリンピックを目指してメダル候補のトップアスリートたちが日々トレーニングに取り組んでいます。
続いて東口はどうでしょうか?JR赤羽駅の東口のロータリーから真っ直ぐ進むと赤羽スズラン通り商店街「ララガーデン」のアーケードが見えてきます。道幅の広い商店街が大きな天井で覆われています。商店街には個人商店ばかりではなく、アーケードの奥には「ダイエー赤羽店」や「西友赤羽店」もあります。そのダイエーの裏には赤羽公園があり、子供たちの遊び場になっています。赤羽が不思議なのは、駅前には下町的な雰囲気が強い商店や飲食店が集まる賑やかな繁華街がある一方で、ここは23区の一番外側ですから郊外ではお馴染みの「ニトリ赤羽店」のような大規模商業施設もあります。私たちは都心=商店街と、郊外=ショッピングセンターという二項対立で考えがちになりますが、赤羽はそのどちらも普通に存在するために選択の幅が広い暮らしやすさがあるのです。
さて、ララガーデンから広い通りを北へ向かいましょう。北本通りの赤羽岩淵駅を越えて住宅地の中を更に進みます。程なくして隅田川の堤防が見えます。ここまで来れば街の外れです。堤防に上がれば、一気に視界が開けて隅田川の向こうに新旧二つの岩淵水門が見えます。岩淵橋を渡れば今度は荒川の堤防と広大な河川敷です。最初に紹介した山田孝之さんの番組のオープニングもこのあたりで撮影されたと思われます。造形物の大きさは街中の人間サイズとはまるで違っており、気分をリセットするには丁度よい散歩コースとなるでしょう。
駅の周辺は店舗が集積した人と人の間隔が狭い密度の高いエリアです。しかし西口の高台を上がれば、余裕のある土地利用でとてもよい住環境です。団地ですから、住民の自治組織もしっかりしていて活動も活発です。人と人のつながりがある1970年代の団地文化は脈々と生き残っています。東口も商店街の外側はビルが少ない戸建て住宅地です。どちらかと言えばノンビリしていて、ご近所の住民同士も気心が知れた仲といった雰囲気です。東も西も赤羽は人間味があるコミュニティが生き続けている街と言えるでしょう。
赤羽は23区の一番北という位置でもあり、以前は田舎扱いされることも多くありました。20年前ならアンケ-トの「住みたくない街」の上位になったかもしれません。しかし時代は変わっています。今では「住みたい街」の常連です。鉄道の整備や団地の再開発が人気上昇のキッカケですが、それだけではよくあるニュータウンと差がありません。それだけでこれほど上位になるとも思えません。
「せんべろ」的な知り合いでもない人と同じ空間を共有するコミュニティ。知り合い同士がある距離を保ちながら、生活を支え合うご近所のコミュニティ。職場でのコミュニティ。街の外、街の中、ご近所、家の中と重なり合う違ったコミュニティを行ったり来たりしながら暮らす。そのような今後の時代に考えられる新しい人と人の繋がり方を赤羽は先取りしている気がします。
実は、東口のせんべろ地区にも再開発の計画があります。北区が2014年から「赤羽駅東口地区まちづくり全体協議会」を設立し、時間をかけて再開発へ向けた話合いが進められてきました。赤羽一丁目第一地区(ララガーデンのアーケードの入口前、吉野家やソフトバンクのショップがある街区)に続き、2018年には赤羽一丁目第二地区(第一地区より駅側のマクドナルドやauのショップがある街区)の準備組合も設立されました。さらに駅に近い街区も第三地区としてこれらに続く模様です。
第一地区は2021年度の着工を目指しています。この先開発が進めば、おそらく店構えが古めかしい飲食店の少なからずは廃業したり、現在の雰囲気とは似つかわないピカピカの新店舗での営業することになるでしょう。レトロな雰囲気を求める物見遊山な一見客は寄りつかなくなるかも知れません。しかし赤羽の魅力が人と人との関係性にあるとしたら、開発が赤羽の集客力、住民の求心力を下げることではないでしょう。交通便や街並みや建物だけでなく、人が集まってこその魅力があるのが赤羽の特別感なのだと思います。