家いくら?|住まい・暮らしのコラム
上野と秋葉原に挟まれた「御徒町」。JRの御徒町駅と上野駅は500mしか離れていないこともあって、世の中では上野のオマケ的なの扱いを受けることが多いようです。駅名もJRは「御徒町」、銀座線は「上野広小路」、日比谷線は「仲御徒町」、大江戸線は「上野御徒町」とみんなバラバラで、御徒町を代表する商業施設である松阪屋は「上野店」です。どうも「御徒町」の存在感は薄いようです。
その松阪屋上野店。改築を進めていた南館が複合ビル「上野フロンティアタワー」として昨年2017年9月にオープンしました。地下1階は松阪屋の運営ですが、1階から6階までは同じJ.フロントリテイリング傘下のファッションビル『パルコ』が入居しました。7~10階は全8スクリーン1400席のTOHOシネマズ。12~22階はオフィスです。
この注目大型複合開発を中心に、御徒町がどんな街なのか考えてみました。
上野駅と御徒町駅の間500mにある、高架下を中心に広がる商店街は「アメ横」としてよく知られています。間口の狭い店舗が軒を並べ、ビルの中にも小さな店舗が密集しています。とにかく人が多くて、店員さんもお客さんも多国籍。東南アジアのバザールを歩いているような感覚です。
第二次大戦の戦後、御徒町の駅前に出来たヤミ市では事件やトラブルが多発しました。それを収拾するために現在の『アメ横センタービル』の場所で、怪しい店を排除したマーケットを設置したことがアメ横の始まりと言います。治安が良くなりマーケットの周りには外地からの引き揚げ者が露天を開くようになり、次第に商店街が形成されたようです。
このアメ横の雰囲気はみなさんわかっているでしょうが、具体的に何を売っているのかと問われると人によって答えは違うかもしれません。
私がまず思い浮かべるのはお菓子。アメ横の名前の由来は「ヤミ市時代に芋飴を売っていた飴屋→アメヤ」という説があるくらいですから、昔からお菓子を売るお店が多かったのでしょう。林家三平さんがCMに出演する『二木の菓子』は有名ですね。
他に通りでよく見かけるのはシューズ店。革靴からスニーカーまで、様々なシューズ店がこの狭いエリアで競合しています。大手の『ABCマート』はこの地域に6店もお店があるそうです(※2018年6月時点)。またシューズからの派生としてスポーツ用品店、同じ皮革ものということでバッグの店舗も多くあります。
外国人観光客のお土産として人気の化粧品や薬品を扱う店もよく見かけます。大手ドラッグストアチェーンの総合店から香水や基礎化粧品など特定商品の絞った専門店まで、売れ筋の商材だけにやはり層が厚いです。
珍しい店舗としてはスカジャンばかりを扱う専門店もあります。戦後のヤミ市時代には米軍の放出品が販売されていたこともあり、アメ横には昔からミリタリー用品や関係ファッションの販売店も多いのです。米兵のジャケットにオリジナルの刺繍を施すことから始まった日本発祥のスカジャンですが、アメリカらしさを感じるファッションとして人気になり、独自の文化として拡がったのです。
アメ横のエリア外でも御徒町を代表する地元に愛されている店舗もあります。ひとつは駅前の鮮魚店『吉池』。「プロも通う魚介専門店」というキャッチフレーズで多種多様の海産物が揃います。2015年に新しい本店ビルが完成。地下2階~1階(南館)は自社の鮮魚店。1~4階にはユニクロ、5階6階がGU。7階には手芸用品のユザワヤ、8階9階は飲食店が入居しています。
そして昭和通りの仲御徒町駅前にある紫色をした謎のビルが『多慶屋』。食品からファッション、家電・家具、宝飾品まで幅広い品揃えを誇るディスカウントストアの老舗です。根強いファンが多く城東エリアの広域から客を集めます。事業拡大に伴って周囲に増えた店舗を再編するために「上野御徒町台東4丁目西再開発」も現在準備段階にあります。
御徒町-上野間の高架下はアメ横の店舗がたくさんありますが、御徒町-秋葉原間はほとんど未利用でした。JR東日本は所有地の有効利用と地域活性化を目指し、「ものづくり」をテーマとした施設『AKI-OKA ARTISAN』をオープンしました。陶器や革製品、ガラス細工、金属ジュエリーなどの店で、製造する工房と販売するショップが一体化したことで、クリエーターと顧客が直に対話することが出来ます。
今までも「買い物天国」であった御徒町に新規出店をしたパルコ。都内でパルコがあるのは池袋、渋谷、吉祥寺、調布。どうも西の方に偏っています。今まで東京の「東」とは縁がありませんでした。1970年代に生まれたパルコは、それ以来東京のファッション消費の先端を担ってきました。そこにはファッションエリート層をターゲットとして意識した店舗開発があったはずです。
その山の手のファッション文化を背負ったパルコが「東」である御徒町で何を売るのでしょうか?オープン時のプレスリリースを読むと、「ともだちを誘いたくなる、ちょっとおしゃれなおとなのたまり場”」がコンセプトで、団塊ジュニア世代を中心とした30~50代と銀座・丸の内・日本橋に流出している近隣居住者とオフィスワーカーを顧客として考えていると書いてあります。どうやら若い世代というよりは中年層、年収もやや高めで購買力がある層を想定しているようです。
開業時には入場制限がされるほどの人出でしたが、半年以上経った現在ではいたって普通の様子です。ファッションビルとしては定番ブランドやセレクトショップも多いのですが、個性を強く主張するタイプのアパレルブランドを避けており、とてもおとなしい印象です。この方向が上手くいっているのか判断は難しいですが、近隣居住者を想定して「東」で商売をするためには、地域性を考慮したのでしょうか。
考えてみると、30年前までは、住んでいる場所が下町と山の手とでは遊びに行く街も違うし、買い物する店もレストランも違うという感じで、東京の東西は見えないラインで分断されていました。
しかし1990年代後半から、湾岸エリアや都心に人口流動が起きたことで山の手文化が下町エリアへと流れ込んできた印象があります。パルコが「東」に出店するというのはその流れを後追いしているのかも知れません。近年はインバウンド需要を見込み「江戸の文化」「日本の伝統」といったショップや商品の取りそろえのラインナップは商業施設では定番になっています。これは上野パルコに限らず同時期に「東」に出店した『GINZA SIX』や『ミッドタウン東京日比谷』でもみられる傾向です。しかしここ御徒町で顕著なのは、一歩進んで下町文化、「東」の消費生活との衝突です。パルコから外に出れば直ぐに吉池の鮮魚店があり、アメ横には東京の「東」から集まった買い物客で溢れています。
実は御徒町界隈をよくみると、以前からこの下町と山の手の衝突はみられます。アメ横の界隈は立ち呑みなど低価格の酒場の激戦区です。立ち呑みの定番『カドクラ』、熱々のフライで一杯出来る『肉の大山』、吉池が経営する魚ものが豊富な『味の笛』などが有名です。しかし中央通りを渡って湯島側に行くと同じ酒場でも湯島天神下の本格居酒屋の『シンスケ』やオーセンティックバー『琥珀』など落ち着いたお店もあります。
湯島と言えば三菱創業家の邸宅を保存した『旧岩崎邸庭園』があります。その手前、春日通りには1960年代に建設されたビンテージマンション『湯島ハイタウン』もあります。湯島は古くから山の手のアッパー層やアッパーミドル層の居住地であったことがわかるでしょう。つまりここが下町と山の手が衝突していた最前線だったのです。
この山の手側の湯島から本郷のエリアではひとつひとつの物件は目立ちませんがこの数年で10棟あまりの新築マンションが建設され400戸ほど住戸が増えています。そして池之端では『ブリリアタワー上野池之端』総戸数361戸が2019年の春に完成予定です。これらを合わせると数年で1500人以上の入居者が増えるのです。
下町側でも西浅草や蔵前などでは分譲・賃貸マンションや観光客を見込んだホテル建設が盛んです。さらに人口増加を踏まえた住民の必需品を提供する店舗や観光客を狙ったカフェやスーベニールショップなども増えています。
御徒町の開発はパルコで終わりではありません。先に紹介した上野4丁目の再開発も控えています。これからの御徒町の発展は東西の後背地と連動していくでしょう。下町と山の手が衝突した御徒町が、つぎは2つの文化を融合させて、東京の東西を結び付ける街になるのではないかと期待するところです。